今朝のニュース番組でも取り上げられていましたが
秋葉原ラジオストアーが64年の幕を閉じるそうです。ラジヲ少年の末席を濁した当局には時代の流れに感慨深さを感る出来事です。電話級の国試の後に立ち寄ったのを覚えていますから、あれからもう41年経つのかとも。
奇しくもそんな折に、当局にはピンポイントで懐かしい
TR-2200の記事が
hamlife.jpに出ていました。同じく41年前に出会った最初の無線機です。写真を見たら当時の記憶がいろいろと蘇ってきました。実は、中学~大学の時代にこのリグをいじり倒していたのです。
思えばTR-2200とは奇遇な出会いでした。
電話級に合格して開局すること。リグは中学生の私に高価なおねだりで選定には熟考に熟考を重ねていました。とりあえず何かリグが欲しいな と軽い気持ちでローカルのOMさん(あの牛乳箱にQSLカードのOMさんです)に言ったら、ちょうどいいのがあるよ ってことで超格安で譲り受けたのがTR-2200でした。
当時はただ嬉しくてなんとも思いませんでしたが、今になって思うとそのTR-2200は訳アリ品だったんですね。まず、ロッドアンテナは純正ではなく短くしても収まりきりません。マイクコネクタは壊れていて直付けでした。おまけに変調が浅くてモービル局との交信では無変調と言われたりも。でも、それがVY FBでして・・・
変調の問題は、交信で出会ったOMさんから自然発生的にご指導を仰ぐことになりました。ご自宅に呼ばれて部材も頂きました。マイクはモービル用のハンドマイクに、マイクコネクタはそれに合わせてアイコムタイプの3PINに、ディスクリートのマイクアンプのトランジスタをhfeが高いのに変えたり定数を変更したりとかも。変調はまだ物足りないレベルでしたが見事に改善されました。
その過程で必要な部品が次々と出てくるOMさんのジャンク箱には驚いたものです。ちなみにそのジャンク箱はブリキのお菓子の空き缶でしたね。
変調回路は最終的には(後継のTR-2200Gに習って)東芝のICの回路をカメ基板で入れ込みました。
ロッドアンテナは取り外し、パネルの穴をリーマとやすりで広げてMコネクタに。更にMPのピンを引き出すとロッドが伸びるて1/4ラムダのホイップになるという意味のない愚考を実現したりとか。
チャンネルは元々全6チャンネルでしたので12チャンネルに改造をと。でも、変調回路と場所が競合し、スペース確保のため回路を詰めて基板のは鋸で切るは、やすりで削るはで、わやくちゃになりました。最後はケースを赤いケースに入れ替えて原型がなくなり、あたかも自作トランシーバーの様相に。
そんなこんなで、当局のTR-2200をいじり倒しは中学3年の頃から始まり、チャンネルプランの改定で帯域変更の改造と水晶の入れ替えをせねばの頃まで続きました。結局、帯域改造はせずじまいの状態でJA5の局長さんにお譲りしました。
という訳で、訳アリのTR-2200との出会いが、幼き日の私に改造・改良の必要を与えてくれて、それを思う存分に楽しませてくれました。もし綺麗で何も問題がない無線機だったなら、そんな経験はできなかったように思いますし、今の私の愚作癖もつかなかったかも知れませんね。
翻って、機器の改造なんてままならない今の時代に、自作マインド継承するにはどうしたら良いのか。今朝のニュース2件でますますそんなことを思った次第です。とりあえず当局は愚作は続けることかな。Hi!
【針金と卵碍子の吾が青春】
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